今回、作家・経営コンサルタントである私から、ぜひ紹介したい2人のコンサルタントの方とその著書をご紹介します。
お2人ともやり方は違えど、間違いなく日本歴代のコンサルタントと呼ぶことができるでしょう。
目次
日本一の中小企業コンサルタント「一倉定」氏
一倉 定(いちくら さだむ、1918年4月-1999年3月)は群馬県出身の経営コンサルタント。5000社を超える企業を指導し、多くの倒産寸前の企業を立て直したとされる。経営コンサルタントの第一人者とされ、苛烈なまでに経営者を叱り飛ばす姿から「社長の教祖」「炎のコンサルタント」との異名を持つ。”ダメな会社はTOPがすべて悪い、人のせいにするな、部下のせいにするな、環境のせいにするな”が基本方針。空理空論で経営する社長や、利益だけを追求する社長に対しては、烈火の如く怒り叱り飛ばすとされ、「こんなに叱られるのは生まれて初めてだ」「講義と聞いて来たが、これは講義ではない、落雷だ」との所感を述べる経営者もいる。後継者に不安を抱く創業者からも人気で、いわばダメ社長の再生人として不動の地位を誇る。
一倉さんは、事業経営の成否は、社長次第で決まるという信念から、社長だけを対象に情熱的に指導した日本の経営コンサルタントの草分け的人物です。
空理空論を嫌い、徹底して現場第一主義とお客様中心主義を掲げ、社長を小学生のように叱りつけました。
経営指導歴35年、5000以上の会社を指導しました。
世界的にはスモールビジネスコンサルタントとして7万社を指導したマイケルE.ガーバー氏がいますが、日本一の中小企業のコンサルタントは5000社を指導した一倉定さんといって間違いないでしょう。
今では、プロのコンサルタントでさえ知らない人が多くなりました。
書籍のほとんどは現在絶版になっています。
現在すぐに手に入る本は、「一倉定の経営心得」日本経営合理化協会出版局http://goo.gl/qHSqFLしかありません。
地声が聞ける以下のCDはおすすめです。
CD 「中小企業の社長学」日本経営合理化協会出版局
私は新聞販売店経営者時代に、株式会社武蔵野の小山昇社長の経営のやり方を徹底して学びました。
よーく調べてみると、彼のコンサルティングは100%一倉定さんのパクリです。
実際にやっていることから、書いているもの、話し方まで、完全にモデリングしているのです。
だから小山社長は中小企業のカリスマになれたのです。
ここから少し、一倉社長学の要旨をご紹介します。
社長とは何なのか?
決定をすることが出来るのは社長だけです。
なぜなら本来、責任を負うことの出来る人しか決定できないからです。
決定をした後に、社長は社員に実施についての協力を頼むのです。
決定の後に、実施について、社員に相談します。
社員の意見は極力聞きます。
正しい経営とは何なのか?
経営理念と経営計画書について
経営理念を作ることです。
経営理念とは、社長の基本的な態度のことです。
ですから非常に人間くさいものです。
そしてその経営理念に基づく未来像を描くのが社長の大切な仕事です。
考えるだけではだめで、考えを明文化する必要があります。
そのツールが経営計画書です。
経営計画書を作ったら社員に協力を頼むのです。
商売の原理原則
一倉社長学の生徒である優秀な経営者たちはみな顧客中心主義で成果を出しています。
商売の原理原則は非常にシンプルです。
365日、24時間お客さまのことだけ考えることです。
ワンマン経営ついて
一倉定さんは、ワンマン経営を主張しました。
しかし、勘違いしてはいけません。
社長が独裁者になれと言っているわけでは決してないのです。
言葉の定義が大切です。
「独裁せれど、独断せず」
この言葉は、近鉄の元社長、佐伯勇氏がいいました。
佐伯氏は、一倉さんが東洋一の経営者と謳った名経営者でした。
伊勢湾台風の時、鉄道の復旧ではなく、建設を決定して、その後の近鉄の基盤を作り上げました。
「事業は多数決ではない」とも言っています。
一倉さんのワンマン経営とは、社長が決定をして、社長がすべて責任を取ることを意味しています。
「電信柱が高いのも、郵便ポストが赤いのも、全部社長(自分)のせいだと思え」という一倉さんの有名な言葉があります。
それぐらい社長の責任は重いのです。
それができないなら社長なんかやめろといいます。
ペガサスクラブ創設者「渥美俊一」氏
渥美 俊一(あつみ しゅんいち、1926年8月21日 – 2010年7月21日)は、日本の経営コンサルタント。
三重県松阪市出身。官立第一高等学校文科を経て1952年に東京大学法学部を卒業すると、読売新聞社に入り経営技術担当記者となる。1962年にチェーンストア経営研究団体ペガサスクラブを設立、主宰。1963年にチェーンストア経営専門コンサルティング機関である日本リテイリングセンターを設立。1967年読売新聞嘱託となり、1969年に退職、コンサルタント専業となる。専門はチェーンストアの経営政策・経営戦略と基礎技術論。渥美は、高度経済成長を達成する中でも日本人の生活の豊かさは国際水準から見れば成熟していないと捉え、製造業に比べて立ち遅れていた日本の流通分野を、チェーンストア産業づくりの推進によって近代化し、生活水準の向上を実現することをロマンとして掲げた。
1962年に設立されたペガサスクラブの初期の主なメンバーは、ダイエーの中内功氏、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊氏、ジャスコ(現イオン)の岡田卓也氏、マイカルの西端行雄氏・岡本常男氏、ヨークベニマルの大高善兵衛氏、ユニーの西川俊男氏、イズミヤの和田満治氏など30代の若手経営者が中心でした。
その後、会員企業数は急速に伸び、1969年には1,000社を超えました。
ペガサスクラブを設立した、渥美 俊一(あつみ しゅんいち、1926年ー2010年)氏は、元々は読売新聞社の経営技術担当記者でした。
経営の経験は全くありませんでしたが、渥美氏は、メンバーの経営者を率いて毎年アメリカ視察を行うなど、アメリカからスーパーマーケットの大規模、多店舗化のノウハウである、チェーンストアー理論を持ち込み、流通革命・流通近代化の理論的指導者として、草創期にあった戦後日本を代表する多くのチェーンストア企業を指導しました。
この事例から、いかに「知識の力は偉大」かがわかります。
イトーヨーカ堂、ジャスコ(イオン)、西友、イズミヤ、ライフコーポレーション、マルエツ、島忠、キタムラ、すかいらーく、吉野家、ジョナサン、ダスキン、ニトリなどなど、実にチェーン大手筋の8割以上の企業がこのクラブに加入しているからです。
しかも今現在、大手と呼ばれている企業グループの多くは、ペガサスクラブに入った時は、まだ中小規模でした。
ただその時から、チェーンづくりの原則を学んでいたから、困難に直面しても進路を誤らずに進化し続けられたのです。
渥美氏は、高度経済成長を達成する中でも日本人の生活の豊かさは国際水準から見れば成熟していないと捉え、製造業に比べて立ち遅れていた日本の流通分野を、チェーンストア産業づくりの推進によって近代化し、生活水準の向上を実現することをロマンとして掲げました。
主な会員企業一覧
- ※かつてのものも含む
- ダイエー
- イトーヨーカ堂
- ジャスコ(イオン)
- 西友
- 西武百貨店
- イズミヤ
- ライフコーポレーション
- コープこうべ
- マルエツ
- 壽屋
- 長崎屋
- ベイシア
- 平和堂
- 上新電機
- ベスト電器
- チヨダ
- ビックカメラ
- イズミ
- カスミ
- いなげや
- マツモトキヨシ
- オートバックスセブン
- しまむら
- フジ
- オークワ
- マルナカ
- ケーヨー
- エイデン
- ナフコ
- ケーズホールディングス
- 万代
- 大創産業
- コープさっぽろ
- ホーマック
- アルペン
- 生活協同組合コープとうきょう
- コーナン
- コープかながわ
- CFSコーポレーション
- ラルズ
- カーマ
- カワチ薬品
- ヤマナカ
- 関西スーパーマーケット
- コメリ
- 相鉄ローゼン
- 三和
- 島忠
- さいたまコープ
- キタムラ
- みやぎ生協
- ジョイフル本田
- すかいらーく
- 吉野家
- 西洋フードシステムズ
- ジョナサン
- 木曽路
- サトレストランシステムズ
- ダスキン
- ニトリ
渥美俊一氏の著書はたくさんありますが、「渥美俊一選集」全5巻(商業界)がおすすめです。
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