現在では、ほとんど読まれていませんが、かつて多くの日本人を成功させた書物がありました。
内村鑑三の「後世への最大遺物」です。
この作品はもともと内村が、キリスト教の夏期学校で講演した内容をまとめたものであり、元々が講演の内容ですので非常にわかりやすいです。
ありがたいことに、現在では、アマゾンのKindleで無料で読めます。
アマゾンのKindleは、あなたのお持ちのスマホやパソンンから無料でダウンロードできます。
そこで、「後世への最大遺物」と検索すると無料でダウンロードして、読むことができます。
実は、多くの古典文学が、青空文庫というボランティアにより書き写された書物により、無料で読めるのです。
実際に読んでみて、よければ、大切な人や大切じゃない人や将来性のある人やない人にもすすめてみてください。
今の日本にもっとも必要な書物だからです。
目次
「後世への最大遺物」が今の日本にもっとも必要な書物である理由
なぜ私が”今の日本にもっと必要な書物”と言い切るのか、もちろん理由があります。
人間の幸福は、その人の才能をフルに活用することにあります。
しかし、現在の日本では、社会的な圧力に負けて、自分の才能を思うように発揮できていません。
お金儲けの得意な人は、お金儲けをすべきですし、事業が得意な人は、事業をして、文章をかける人は、文章を書き、教えることが得意な人は、教えることで、世の中に貢献すべきです。
後世への最大遺物の内容は「この世の中を、私が死ぬときは、私の生まれたときよりは少しなりともよくしてゆこうじゃないか」というものです。
そのためには、死んだ後に何を残すのかが重要となります。
内村は、後世へわれわれの遺すもののなかにまず第一番に大切のものが「金」だというのです。
後世への最大遺物 其の一「金」
内村は実業教育を受けていたので、もちろん金を遺し、億万の富を日本に遺して、日本を救ってやりたいという考えをもっていました。
しかし、非常に熱心な牧師先生に話したところ、その牧師さんに大変に叱られました。
「金を遺したい、というイクジのない、そんなものはドウにもなるから君は福音のために働きたまえ」といって戒められました。
内村は、今日の実際問題は社会問題であろうと、教会問題であろうと、青年問題であろうと、教育問題であろうとも、それを煎じつめてみれば、結局金銭問題だと言い切ります。
だから、お金を残すことは、何恥じることなく、尊いのだと言います。
まず第一にお金は大切なものです。しかし残念ながら内村鑑三を含めて誰もが金を溜める力を持っているわけではありません。
これはやはり一つの才能です。
では、金をためることの下手なもの、あるいはためてもそれが使えない人は、後世の遺物に何を遺したら良いのか。
それで金よりもよい遺物は何であるかと考えてみますと、事業だというのです。
後世への最大遺物 其の二「事業」
事業とは、すなわち金を使うことです。
後世へわれわれが遺してゆくべきものについて、まず第一に金、その次に事業です。
ところで金をためる才能もなし、またそれを使う才能もなし、かつまた事業の才能もなし、また事業をなすための社会の地位もないときには、われわれがこの世において何をしたらよいのか。
思想を残すことです。
後世への最大遺物 其の三「思想」
われわれはこれを実行する精神を筆と墨とをもって紙の上に遺すことができると言います。
しかし、残念ながら誰でも文学者になるということできません。
また、学校さえ卒業すればかならず先生になれる訳でもありません。
文学者になるのと同様に、学校の先生になるということは一種特別の天職だからです。
よい先生というものはかならずしも大学者ではないし、学問ができるよりも学問を青年に伝えることのできる人でなければならないからです。
金も遺すことができず、事業も遺すことができない人、文学者または学校の先生となって思想を遺してゆくこともできない人は、どうしたら良いのか。
内村はそれよりもっと大きい、今度は前の三つと違い、誰にも遺すことのできる最大遺物があるというのです。
それこそが実に最大遺物です。
「金も実に一つの遺物でありますけれども、私はこれを最大遺物と名づけることはできない。
事業も実に大遺物たるには相違ない、ほとんど最大遺物というてもようございますけれども、いまだこれを本当の最大遺物ということはできない。
文学も先刻お話ししたとおり実に貴いものであって、わが思想を書いたものは実に後世への価値ある遺物と思いますけれども、私がこれをもって最大遺物ということはできない。
最大遺物ということのできないわけは、一つは誰にも遺すことのできる遺物でないから最大遺物ということはできないのではないかと思う。そればかりでなくその結果はかならずしも害のないものではない」
こう諭した内村が残すべきという最大遺物が勇ましい高尚なる生涯なのです。
全ての人ができる後世への最大遺物「勇ましい高尚なる生涯」
それならば最大遺物とはなんであるか。内村鑑三は、人間が後世に遺すことのできる、誰にも遺すことのできるところの遺物で、利益ばかりあって害のない遺物があるというのです。
それを、「勇ましい高尚なる生涯」であるといいます。
今までのエライ人の事業をわれわれが考えても、あるいはエライ文学者の思想を考えても、その人の書いた本、その人の遺した事業はエライものですが、しかしその人の生涯に較べたときには実に小さい遺物です。
キリスト教のパウロの書翰は実に有益な書翰でありますけれども、しかしこれをパウロの生涯に較べたときには価値のはなはだ少い。
英国の政治家、クロムウェル自身の生涯というものは、これはクロムウェルの事業に十倍も百倍もする社会にとっての遺物ではないかと考えます。
他の人の行くことを嫌うところへ行け 。他の人の嫌がることをなせ
常に内村の生涯に深い感覚を与える一つの言葉があります。
アメリカの女子教育の祖であるメアリ・リヨンの言葉です。
「他の人の行くことを嫌うところへ行け 。他の人の嫌がることをなせ」
この言葉によって、彼女の作った、マサチューセッツ州にあるマウント・ホリヨーク・セミナリーは、アメリカ1の女子大学になりました。
この言葉こそが、人生の成功の本質を言い表していると思います。
「もし私に家族の関係がなかったならば私にも大事業ができたであろう」
「もし私に金があって大学を卒業し欧米へ行って知識を磨いてきたならば私にも大事業ができたであろう」
「もし私に良い友人があったならば大事業ができたであろう」
こういう考えは人々に実際起る考えであります。
「しかれども種々の不幸に打ち勝つことによって大事業というものができる、それが大事業であります。
それゆえにわれわれがこの考えをもってみますと、われわれに邪魔のあるのはもっとも愉快なことであります。
邪魔があればあるほどわれわれの事業ができる。
勇ましい生涯と事業を後世に遺すことができる。とにかく反対があればあるほど面白い。
われわれに友達がない、われわれに金がない、われわれに学問がないというのが面白い」
と内村は結論づけています。
我々が残すべき「後世への最大遺物」
後世への最大遺物の内容をまとめます。
後世への最大遺物とは
1つ目は、お金です。
2つ目は、事業です。
3つ目は、思想(本を書くこと、教えること)です。
上記は、全て才能のなせるわざです。
そして誰にでもできて、一切害のない後世への最大遺物は、「勇ましい高尚なる生涯」。
これこそが、後世の人間に生きるための希望と勇気を与え、進むべき指針を指し示してくれるのです。
私は、「人間の幸福は、その人の才能をフルに活用することにあります」と捉えています。
内村はそこまではいっていませんが、私は全ての人間には独自の才能があると思っています。
スポーツなら、野球が得意な人やサッカーが得意な人がいるようにです。
資本主義なら、金儲けをすることや事業を起こすことがあります。
今の時代ならば、新しい職業やビジネスを作ってしまうこともできると思うのです。
自分が得意なものと得意なものをつなぎわせた、新しいビジネスということもできますね。
そのためにもぜひ、読んでみてください。
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